余土の移り変わり


校名・場所のうつりかわり



 

郷土の由来

市坪
水利の便がよく、稲作が行われていた市坪付近では、
土地を「一ノ坪」「二ノ坪」と言うように区画整理し、その当時の地名「一ノ坪」の
後に「市坪」と呼ぶようになりました。

保免
この地には、行基(奈良時代に仏教普及と社会事業のため地方を回る)の開基と言われる
壮大な寺院があり、寺田も多く、免租になっていたので保免と呼ばれるようになりました。

余戸
大宝律令のしくみができた時、一村は五十戸と定め、六十戸あるときは余った十戸で一村をつくり、
さらに十戸に満たないものはその土地を「余戸(あまるべ)の里」と呼びました。
それが今の余戸のはじめだとされています。

余土村の誕生