余土?余戸?のふしぎ


松山市に編入される前は
「温泉郡余土村大字余戸」であったため、
小中学校の名前や公共施設(保育所、公民館など)は
旧村名の「余土」となっています。

古くからの地名は駅名である「余戸」ですが、
明治時代に町村制が施工されたとき、
本来「余戸村」とすべきところを、県の担当者が「余土」と誤って登録した為
「余土村」となったとされています。
(それまでは余土という地名は存在していませんでした。)

松山市に編入後は地名としての「余土」は消滅し
松山市余戸町となりましたが、小中学校などに「余土」の名前が残っている為
一部で混乱の原因ともなっています。