三島神社について


 

三島大明神社

松山市余戸東5丁目15番28号

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この神社は、越智郡の大三島から、山林田畑の神様をお迎えして祀られています。

三島神社周辺はは1628年江戸時代、竹藪がずっと続いたあれた土地でした。

次のような話が残されています。

「雨がたくさん降った年のこと、川の水が氾濫して
上の村から神様が流れ着きました。
余土村の人達は神様が来てくれたと大喜びでしたが
上の村の人達は自分たちの神様を返して欲しいと争いになりました。
そこで道後の殿様に相談し、余土の村には「越智郡の大三島神社」から
山林田畑の神様を分けてもらうことになりました。

流れてきた神様は上の村に返して仲直りが出来ました」

 

また、昔から伝わる有名な話が手引きの松に伝わる話です。

いつの頃からか余戸の里に2羽の姉妹鶴が飛んできました。そして氏神様の境内の松の木の枝に、巣を作りはじめました。
村人たちは良いことが起こる前兆ではないかと喜び、この姉妹鶴を見守っていました。
ところがある日の夕方、いつも一緒だった姉妹鶴の姉鶴だけが、哀しい鳴き声を上げながら帰って来ました。一晩中三島神社から聞こえてくる悲しい鳴き声に村人は心を痛めていました。

 

しばらくして、羽を痛めた妹鶴をか細い足に抱きかかえながら、帰って来ました。しかし息も絶え絶えに三島神社の境内近くの畑に落ちてしまったのです。
村人たちはすぐさま駆け寄り妹鶴の傷の手当てや巣で休ませ、えさを与えたりと早く治るようにと祈りました。

 

そのおかげで、2羽の鶴はまた仲良く羽を広げ元気な姿を見せるようになりました。
やがて、春になると姉妹の鶴は名残惜しそうに、お宮の上を飛び交い2匹ともどこへともなく飛び立っていってしまいました。
その後、村人が三島神社の境内へ行ってみると、ちょうど巣を作っていたところの松の枝が、隣の松の枝と手を取り合うように結ばれていることに気づきました。2羽の姉妹鶴がいつまでも離れまいと手を引き合っているようでした。

 

三島神社の境内にある「手引きの松」にはこのような言い伝えがあるのです。

 

 

三島神社の由来

村社三島大明神社
御祭神
大山積大明神 雷神・高龗神 猿田比古大神
御由結
聖武天皇神亀五年八月二十三日越智の玉純伊豫国各郷に大三島より三島大明神を勸請す。
即ち当社は其の一なり。爾来郡司又は名主郡司に代り毎年奉弊ありて祭典厳重に行われたり。
往古周囲に竹藪ありしを以て「竹之宮」とも云ふ。
當社の境内に寄木あり「手曵之松」と云ふなり。
大正四年十一月謹識